うちのお兄ちゃんはダンスに夢中

仕事がえり(特に金曜の夜など)、ぐったり疲れて最寄り駅の改札をぬけると、店が閉まったあとの暗いウィンドウの前で一生懸命ダンスの練習をしているわかものをよく見かけます。
音楽はあったりなかったりしますが、いつも共通しているのはみなさん自分の姿を窓にうつしてダンスのフォームを確認していること。同じポーズを何度もキメてみたり、じつに熱心に自分の姿をチェックしています。その目は真剣そのもので、なんか青春ぽい。
本当ならこどもが通うバレエ教室みたいに大きな鏡があるとこで練習できればいいけれど、なかなかそういうわけにもいきませんよね。バレエみたいにスポンサー(親)が援助をしないかもしれないし、学校と平行してバイトしてスタジオに通うのも大変そう。それに仲間どうしであつまって、ストリートで練習してる感じがまた青春ぽくて特別な感じがします(なんとなく)。
でもたまに、たまたま通りかかってしまったわたしが恥ずかしくなってしまうことがあるんです。別に知らないひとだし、なんか楽しそうにやってるなぁと思っていればそれでいいんですけど、なんかじろじろ見ちゃいけないような気がして、ささっと足早に過ぎ去ってしまう。なんでだろう・・・ と疑問に思うこともありました。
 
そんなことを思い出したのは、中国在住のダンサー、MC强强くんを見つけたから。
MCハマーが大好きで、ダンスに夢中な强强くん。いつどこでダンスを練習しているのかはわかりませんが、その華麗なステップを録画して、YouTubeで全世界に発信していました。最初は「なんかすごいな・・・」と見ていたけど、気が付けばなんだか心が和んでいるわたしがいる・・・。なぜだろう・・・ と思ったら、そのヒントはMC强强くんのご家族の、暖かいまなざしにありました。
 
まずはMCハマーの代表曲で踊るMC强强くん

おばあちゃん、すぐそばで踊りまくるMC强强くんを特に気にせず編み物をしています。いたって平常心。しかも途中から片方の足を机の上に乗っけちゃうリラックスぶり。緩みすぎです。
 
華麗なブレイクダンスを披露するMC强强くん

ぶいぶい踊るMC强强くんのうしろで、お母さんらしき女性が作業中。特に気にする様子もなく、たまにお菓子みたいなものをつまみながら新聞のようなものを読んでいます。いたって平常心。(いつものことなんでしょうね)
 
MC HAMMER的经典歌曲」でガッツリ踊るMC强强くん

今度はMC强强くんのすぐそばで新聞を読むお母さん(らしき人)。すぐに新聞を読むのをやめて、MC强强くんのダンスを暖かく見守っています。親戚から電話がかかってくると「うちのお兄ちゃん、最近ダンスに夢中なのよー」なんて話しそう。けして「なにやってるの」的な感じはしません。
 
リアルタイムで中二病な感じのかれですが、ご家族に批判されずにのびのびやってる感じがしますよね。それがMC强强くんのダンスにとってイイことなのかはわかりませんが、なんだか痛快な感じがします。普通だったら「テレビの前で暴れたらダメでしょ!」とか怒られそうですもん。ですが、
 
さすがにこれは家族の前ではできなかったMC强强くん

あーっ!やっちゃいました。これはさすがにお母さんには見せられない。おばあちゃんにはもってのほかです。でも、わたしにも見せてほしくなかったです。あーあー。
 
げんざい强强くんは二十歳らしいのですが、いまもリビングで踊ったりするのでしょうか。この頃のことは封印したくないからこうしてYouTubeで動画を配信しているのでしょうか。そして今もMCハマーの歌とパフォーマンスは强强くんの宝物なのでしょうか・・・

煮すぎたちくわぶみたいな

corcovado2007-10-07

爆笑問題の検索ちゃん」というTV番組が好きで、金曜の深夜といえば「タモリ倶楽部」と「検索ちゃん」を続けて観るのがここしばらくの定番になりつつあります。
「検索ちゃん」では司会の太田が酔っ払いみたいにぐだぐだになって話題をひっかきまわし、結局なにを言いたかったのかわからないという場面がしばしばあって、そこをその場の芸人たちが総出でつっこんでゆく。それが観ていてたのしいのだけれど、
そんな太田光以上に、こんな風にぐだぐだな人がいることをすっかり忘れていた気がする。
TBSラジオで10月6日から始まった「立川談志・太田光 今夜はふたりで」を聴いていて思い出した。談志のほうが太田よりもずっとぐだぐだだ。
この新番組はすこしまえから宣伝が流れていて、「おれの最後をみとってほしいのは太田くらいだ」*1と太田大絶賛の談志のコメントが使われていたので楽しみにしていたのだけど、聴いてみたらふたりともぐだぐだだったのだった。何を言いたいのか一瞬わからない、ことばの繋ぎ合わせだけで会話してるみたいな30分。
会話をキャッチボールに例えるなら、あの太田が、談志があちこちへ気まぐれに投げる球をひっしに拾い、談志が拾いやすいような変化球をひっしに投げ返している。これが60分の番組だったら到底もたないだろう(太田が)。30分でよかったと他人事ながら思う。
でも他人事だからこそ、来週以降の放送が非常にたのしみ。この番組のあとはチャンネルそのままでコサキンのラジオがはじまるので、たぶんこのさき「談志&太田→コサキン」と続けて聴くのが習慣になりそうです。
 
談志と太田との交流はしばらく前からあるらしい。談志は自分の刊行物があると、そのつど直筆(&達筆)の手紙を添えて自ら太田へ謹呈し、太田もその感想を直筆で(いちどパソコンで書いたものをわざわざ手書きに清書して)返しているらしい。いまウィキペディアで見てみたら、「談志は他にも『自分の言いたい事が唯一わかるのは太田だ』等、一貫して太田を評価しており」なんて書いてあった。

*1:うろ覚えなのでもっと違う言い方だったかもしれない

嫌いなひとでもすぐに友達になれちゃう

もう8月も終わりね・・・ なんて思いながら仕事からの帰り道、すだれのおじさまが読むスポーツ新聞をチラ見したら芸能人のオメデタの記事があって、ちょっとだけはっとして凹んでしまった。
わたしの生活とはなんら関係ない人だし、とくべつファンだったわけでもないし、そういえばスーパージョッキーの司会もやっていたなーと懐かしく思う程度。でも、なんとなくこの人にはしあわせでいてもらいたい気持ちがちょっとだけあったのかもしれない(理由はよくわからないけど)。渋谷系全盛期、HMV渋谷店*1で彼女のアルバム(現在でも唯一のフルアルバム)がずらっと並んでたことなどもしみじみ思い出すにつれ、何が間違ってこうなってしまったんだろうと他人ごとながら思ってしまう。
いまここにいろんな思いを込めてこれを張っとこうと思います。
 

原曲(だと思うんだけど)

 
しかしLIOねえさんはいつ見てもあっけらかんとした印象なので、しあわせとかふしあわせとかあまり気にならないなぁ【余計な心配おれタナカメ】

*1:まだ1F邦楽フロアの面積がちっちゃかった頃の話

僕のヴィヴィアン・ガールズ

今更だけど、ヘンリー・ダーガーを特集した美術手帖5月号は各記事ともたいへん充実していて、やなぎみわさんと斉藤環さんの記事が特にぐっときて何度か読み返したり、カラーで掲載されてる作品をじろじろと眺めたりした。でも、げんざい原美術館で開催されている「ヘンリー・ダーガー 少女たちの戦いの物語―夢の楽園」展には今のところ興味がなくて、あと残り約3週間の開期もおそらく足を運ばずに終わってしまいそうです。
ですが、美術手帖でも紹介されている、かれのドキュメンタリ・フィルム「In the Realms of the Unreal;the Mystery of Henry Darger」が観てみたい。米国製作でむこうではDVDも出ているけど、まーそのうち日本でも公開するでショと思っていたら、先日映画館でチラシをみつけました。「非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎」、2008年に渋谷シネマライズで公開だそうです。
社会のなかで静かに影をひそめて生きたダーガーの(他者から見ると)不思議で孤独な人生をひもとくと同時に、このフィルムの魅力はなんと言ってもかれが描きつづけた女の子たちをCGで動かしちゃったところかもしれない。余計なことしてくれるな!と非難もあるかもしれないけど、やはりダーガーが絵を描き文章をしたためてるときに、頭のなかで女の子たちとどんな時間を過ごしたのかを想像すればするほど、かのじょたちが生き生きと動くところを見たくなってしまう。
まだ日本語の公式サイトでは予告編が用意されてないようだけど、米国版の本編(の一部)がこちら。

このフィルムでは少女のナレーションが入るのだけど、この声の主はダコタ・ファニングちゃん。美術手帖の記事内で「かれが身寄りのない少女を養子に迎え入れようとしたがかなわなかった」というくだりをよんで、id:Dirk_Digglerさんと同様に、わたしも「アイ・アム・サム」を思い出してました。なんだかいけない気分でいっぱいです。
 
あと、ヘンリー・ダーガーと同じくくりにはできない人だけど、現代を生きるアウトサイダー・アーティスト、ジミー・ツトム・ミリキタニのドキュメンタリ「ミリキタニの猫」が今年の夏に公開されます。こちらもちょっと観てみたい。
齢80歳にしてNYの路上で絵を描き続けるミリキタニ。米国CATV局PBSのドキュメンタリではこんな感じのひと。

かれ自身のアーティストとしての個性よりも映画としての構成で成功しているというレビューも読んだけど、まあそれはそれでいいんじゃないかと思います。

夢で逢えたら

corcovado2007-06-11

GW前の封切りだったので、もうそろそろ映画館にいかないと公開が終わっちゃうナ・・・と大慌てでミシェル・ゴンドリーの新作「恋愛睡眠のすすめ」を観てきました。
片想いの女性と、せめて夢のなかだけでも結ばれたいとウンウン頑張る妄想青年の話というのは前もって知っていて、しかもゴンドリーさんの映画ということで「妄想」の部分にたいへん期待をしていたのだけど、予想どおりの出来だったので満足です。主役のガエル・ガルシア・ベルナルの人懐っこい表情と、ゴンドリーさんのあの可愛らしさというか、あの独特なチャーミングさについ心を許してしまいそうだけど、ぐっと内へ内へと篭ってしまう引きこもり感が居心地悪いような、いやそれがむしろ心地よいような、すっきりしない魅力で今もすこし悪酔いきぶん。
かれの前作「エターナル・サンシャイン」を劇場で観たあとで「恋愛なんてそれぞれが想いたいようにお互いを想っているだけなのかしら」なんてすこし寂しく思ったのだけど、今回この映画を観てふたたび「やっぱりそれぞれが想いたいようにお互いを(以下略)」と思ってしまいました。もしそうなら確かに夢のなかだけで仲良くするのでも楽しそうだと思うけど、夢から覚めたあとの実生活をどう充実させればよいのか、美味しいものを分け合って食べてにっこりしたり、一緒に歩いてたらきれいな鳥を空にみつけたりとか、いとしいひととそういうのを共有する喜びというかそのー、そういうものは夢よりも実生活のほうが感動がおおきいだけに、ひとりぼっちの実生活なんて夢でなんとかなるもんじゃないと思うわたくしはとてもさみしんぼうです。
そんなことはさておき、M・シャマラン監督はルービック・キューブが得意らしいけれど、ゴンドリー監督も上手みたいですね。足でもらくらく解けちゃうんだって。

つーか鼻でもらくらく解けちゃうみたいよ。

映画みたいな人生

去年からなのかな? アメリカで放映されているアメリカン・エキスプレスの広告は、映画監督による2分間の「ぼくのアメックス」。いかにもその人の映画そのものなので、見てて気持ちいいくらい。
 
↓「タクシー・ドライバー」「ハスラー2」「カジノ」「アビエイター」のマーティン・スコセッシ監督(※30秒のしか見つけられなかった)。甥っ子の写真をスピード写真屋さんで現像しちゃうマーティンおじさん、お支払いはもちろんアメックスで。

↓「天才マックスの世界」「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」「ライフ・アクアティック」のウェス・アンダーソン監督。こだわりのデテイルのおかげで映画の費用がかさんじゃったら、お支払いはもちろんアメックスで。

↓「シックス・センス」「サイン」「ヴィレッジ」のM・ナイト・シャマラン監督。ひとりで食事をとるときもなんだか怖いものが見えるよ!そんなお食事も、お支払いはもちろんアメックスで。

 
やっぱりシャマラン監督は普段からひとり静かにああいうものを見てるんだな・・・ と思ったら、やはりそうなのかもしれない。US版アメックスのサイトでシャマラン監督のQ&Aが掲載されていたのだけど、こんな調子だった。

・子供の頃の夢; ルービック・キューブのチャンピオンになること
・甘い想い出; 雨のなかで妻とキスしたこと
・日常のBGM; 娘が弾くショパン
・リフレッシュできる場所; 自分の農場
・やってみたいこと; 南フランスに住んで小説を書く
・誇らしいと思えるとき; 自分の子供たちが不安から立ち直るとき
・いちばん努力してること; 作品に不満を持ってもそのままにしておかないこと
・完璧な一日とは; 林のなかを家族と一緒に散歩する
・最初の仕事; 法律事務所の営業ビデオ
・趣味; バスケットボール
・最近買ったもの; 「白鯨」
・好きな映画; 「ゴッドファーザー
・インスピレーションはどこから得る?; ぼくの家に住んでる三人の黒髪の天使から

・・・うーむ! 農場にいても、家族と一緒に林を散歩してても、ぜったい何か霊的なものを見たり聞いたりしてそう(映画のまんまじゃないか!)。黒髪の天使が三人もおうちにいるのってどんな感じなのかしら。ひょっとしてただ単に自分の子供のことなのかもしれないけど、ほんとに天使とか見えてるかもしれない。
 
【おまけ】×ヨギータ・シャマラン ○ヨギータ・ラガシャマナン・ジャワディカー

すばらしき世界

なんだか喉が痛いなと思ったのはバレンタインの前夜だった。そして今朝目を覚ますと扁桃腺が腫れて咳がごほごほ。それでも仕事へ出かけなくてはと朝の支度をするうちに、腰や膝の関節がじーんと熱を持って痛んでくる。やばい、風邪が本気だしてやがるぜ。
仕事もそこそこにして、保険証を片手に家からいちばん近い病院へと向かう。今の住まいに移ってから初めての通院。いつも歩いてる道にある医院へ向かうと、看板にしっかりと「小児科」と書いてある。うーむ! ・・・仕方がないのでいったん家へと引き返すと、偶然にも家からわずか数ブロックの所に内科を発見。小さな医院だけど、迷わず飛び込む。
待合室には70代とおぼしきお爺さんがひとり囲碁の雑誌を読んでいた。病院の門構えは新たに建て増しされて内装も綺麗に新調されてるけど、建物をよくみるとどこか昭和のかおりが残る古いものだった。受付の窓ごしに「初めてなのですが、風邪をひいたみたいで・・・」と告げつつ保険証を見せると、受付カウンタの向こうから大貫妙子似の看護婦さんが出てきて「あちらの奥も待合室ですから、そこでこの体温計を脇にはさんでお待ちくださいね。歩けるかしら?」。
通された待合室には大きな窓と古い長椅子があって、窓際にはピンク色のシクラメンの鉢植え。窓の向こうには(あくまでガーデニングなんてものではなく)古きよき日本の庭があった。梅がちらほらと咲くその下で、きじとらの猫がゆっくりと歩いてゆく。鳥たちがチチチと飛んでは枝に止まり、またどこかへ飛んでゆく。待合室にはBGMはなく、診察室からかすかに話し声が聞こえるだけ。窓から差し込む陽が長椅子を照らし、静かに暖かい。なんとまあ平穏でゆったりと時間がながれてるんだろう。しばし具合の悪さも時間も忘れ、待たされるだろうと用意していた本も開かず、窓の外のきじとら猫が日なたで鳥を眺めているのをぼんやり見ていた。
いつの間にか待合室で囲碁雑誌を読んでいたお爺さんが診察を終え、大貫妙子似の看護婦さんが私を呼ぶ。案内されるままに診察室のドアを開けると、そこには使い込んだ感じの大きな机に小さな椅子。木製の古い棚には表紙が陽にやけた本や顕微鏡が並んでいた。「そちらの台に荷物を置いてください」といわれた台には手製らしきレースのカバーがかけてある。「今日はどうしましたか」とこちらを向いたのは石丸謙二郎似のドクター(なにより声がそっくりだった)。そこへ奥から先ほどの大貫妙子似の看護婦さんが「熱は8度5分でした」とひとこと。この医院にはこのふたりしかおらず、おそらく夫婦なのだろうと私は思った。そんなやりとりだった。
「風邪らしい症状以外にも、心配なことはありますか」と石丸似のドクターはカルテにペンを走らせながら言う。落ち着いた雰囲気に打ち解けてしまったせいか、以前から気になっていたことを相談してみると、内科診療ではないのにもかかわらず穏やかな調子で診断をしてくれた。薬も出してくれるそうだ。
病院にかかるなんて本当に久しぶりで、多少の不調ならドラッグストアの薬を飲んでなんとかしてしまっていた。病院なんて待たされるばかりで、陰気な顔をした患者ばかりの待合室で時間をすごすのも、流れ作業でぶっきらぼうに診察を受けるしかないのも嫌で嫌で仕方が無かった。病院なんてそんなものだといつのまにか諦めたまま医者ぎらいになっていたのかもしれない。
支払いを済ませてスリッパを脱ぐと、他の人の靴と一緒に私の靴がきちんと揃えられていた。診療中に大貫妙子似のナースがささっと揃えたのかもしれない。外にでると日差しがぽかぽかと暖かい。頭も体も重くてつらかったけど、なんだか不思議な安心感がある。(勉強が苦手じゃないほうの)「What a Wonderful World」をなんとなく思い出しながらふらふらと家へ戻ってゆく。
 
待合室で待ってる間はこんな感じのワンダフル・ワールドだったんだけど

でも体調の悪さから言うとこんな感じのワンダフル・ワールドだったよ・・・