ここではないどこかへ

corcovado2006-07-07

世界じゅうの誰もが知っているセクシー美女。知的というより痴的という感じの、とろんとした目つきと舌っ足らずな物言いで、男たちとの噂が尽きなかった女性。野球選手や作家から政治家まで、彼女のかがやくブロンドと乳白色の肌に夢中になった。実際に会ったことがなくとも街じゅうの誰もが彼女の性的魅力を知っていたけれど、果たして本当の彼女はどんな女性だったのか?
 
パリの町並みや世界中の空気を、優しい視線ごしに切り取って残した写真家カルティエ=ブレッソンは、著名人のポートレイトも数多く手がけた。ココ・シャネル、マティスボーヴォワールカポーティ、モーリヤック。彼の視線を通して著名人はまた違った顔をみせる、その中の一枚の写真。映画撮影中、物憂げに瞳を伏せるひとりの女、マリリン・モンロー。その姿には人懐っこく甘えたがりの、お馴染みの表情はない。

2003年、その写真を手にひとりの男が口をひらく。彼の美しい前妻は原因不明の死をとげてからしばらく経っているが、それでも人の心をひきつけて離さない。彼は写真を眺めながら話す。「彼女の内面がよく出ている写真だ。何かをじっと考え込んでいる。じつに彼女らしい写真でもある」
 
カルティエ=ブレッソンがカメラを向けたのは映画「荒馬と女」の撮影中、モンローがひとり佇む姿だった。映画の原作・脚本を担当する1人の男と、結婚生活の終わりを迎えようとしていた。作家、アーサー・ミラー。モンローにとって何度目かの結婚だったが、この映画の公開直前に破局。のちにケネディ大統領との噂が世界をかけめぐることになる。恋多き女、セクシーな美女、というイメージの奥に彼女が抱え込んでいたものは一体なんだったんだろう。
 
せっかくの七夕だというのに天気が悪く、せっかくの金曜日だというのに暇を持て余しているので、映画『アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶』を観てきた。最終回、狭い映画館の客席はまばらで、フィルムは静かに静かに幕を開ける。優しい写真を撮るカルティエ=ブレッソンは、その本人もたいそう優しい雰囲気のおじいさんだった。耳に補聴器をつけているが、眼鏡はかけていない。

言うまでもないことだけど、映画は記録のメディアであり、いま誰かと手をつないでスクリーンを眺めていたってソコに映し出されるものは過去の記録にすぎない。夜空を見上げても、そこに瞬く星の光はいま現在の光でないのとすこし似てる。デジタル化された「ローマの休日」を観ればいつだって、ため息がでるほど美しいヘプバーンがいきいきと動いている。けれど、もう今はいない人なんだ。謎は謎のまま明かされずに眠ってしまう。
 
アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶」は8月10日まで渋谷で公開中。映画もいいけど、劇場窓口でパンフレットを買うのをオススメします。収録されている写真がとてもきれいだよ。